山、川、人、伝承三河と信濃のつながりが根羽

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根羽村誕生~三河から信濃~

承平四年(九三四)、三河の国と穂の国が合併して三河の国となり賀(加)郡賀祢(弥)郷の中に、根羽村、月瀬村が含まれる。(武節郷とも)元亀二年武田信玄の進攻により信濃国に編入。
このことから見ると、三河国で六六〇年余り、信濃国~長野県となって四四〇年となる。

三河国の慣習、地勢、交通地理的条件、矢作川流域、婚姻など三河地方との繋がりは深く、信濃文化と交雑した地域でスギ、ヒノキの美林、自然そのものの中に、多くの石像(九八一体) 武田信玄に連なる思いを綴ることができる地域ともいえる。

根羽(ねばね)の語源

三河(愛知)の国の北(子の方向)の地域で「端」「終」(はし、おわり)の所から、
「ねばね」の地名根羽(祢ね・子ね)命名されたとする。
(三河地方では興行、芝居などが終わることを「ハネル」という)
明治八年、根羽、月瀬村合併書には「子ハネ」のフリガナがつけられている。
(語源他に宿場町で寝場、道多岐で樹の根張りのよう。)

根羽村在住の片桐亀十さんの記録より抜粋しています。
下記の根羽村の貴重な情報もあわせてぜひご覧ください。
手書きの記録のPDFも下記に掲載しております。

信玄塚 ほうきょういんとう

元亀四年(天正元 一五七三)
酉ノ四月十二日 三河ト信濃ノ国境ネバネ上村ト申ストコロニテ御他界。息止ル。
終焉(死)で旗を横にして弔意を表し、その横旗(現在は横畑)の地名は陣幕を横にはり廻らしての埋葬の儀、軍議と見せてのこととも...

墓壙(信玄塚)発掘調査(昭和五九年国道工事)
深さ、墓周り2メートル余り発掘。穴底に石が並べられていて埋立も違い、埋めたことは想像できるが遺物は発見できなかった。宝篋印塔は墓壙により移転。
高さ1.8メートル、四佛を表す梵字が刻名されている立派な塔。
信玄の死についてはいろいろな説があるが、ここにこうした宝篋印塔が建てられたのは信玄の死を供養するためのものとして大きな意義を持つ。
また武田軍に関わる狼煙台、小栃、根羽砦、市瀬館、石原但馬、原民部とのつながりもつづく。
毎年命日は供養祭が行われている。

石原但馬供養塚

塚には古木のクサマキ(コウヤマキ)奉献「白山宮」の碑。
高遠の石工新八名刻名の石燈籠などが建てられていることから見ると、但馬の馬の墓の伝説ではなくて、石原但馬の「馬」が「馬」になったと思われる。

六字名号碑(徳住)

徳住上人は三河国の僧「飯伊地名」で有名な高僧。
徳本上人の高弟で岡崎の清浄山極楽寺を創建。
名号碑の「南無阿弥陀仏」の〇名文字は丸く流れるような字で徳本上人ともに独特。
人を助ける巡錫の宗教の歴史を知ることができる。
名号碑建立天保六年 (一八三五)

一石三十四観音 小栃砦

砦の遺構は南北朝時代とも。また武田信玄の前進基地として狼煙台との連絡など重要な拠点。
一石三十四観音像は珍しく知久氏に関わる秩父観音に由来しているものか、月瀬村が知久氏の領地であったことに起因するか、考察を要する観音像である。
また、この砦が明治七年前は月瀬村と根羽村の村界であった。

狼煙台杣路峠

標高884メートル平安時代から信濃と三河を結ぶ重要路。
美濃、三河からの情報を知らせる第一基地の狼煙台で天文二三年の記録も残る。
現在は「武田信玄狼煙会」により年に一度狼煙リレーが行われている。

新井弘法堂

村内には各地区に弘法堂が建てられていて、阿弥陀堂、観音堂も残る。
弘法堂の棟札元禄十七年(1704)「奉再造」とあることから、それ以前の創建と思われる。
敷地内に六地蔵、四十八夜塔、庚申碑などがあることから、祈りの場だったとも思われる。

宗源寺創建と根羽

至徳二年(1385)大徹宗令禅師那須野の殺生石厄難帰途(他説多い)堂宇建立。
応永初年(2~3年)開堂禅師宗源寺創建(当時120戸~200戸か)
領主、村民、村の成立と大きな関りあいが考えられる。
村内小川に建立。本山の直末寺

菊紋墓章

墓の形状が珍しい形で上段に十六弁の菊紋、下段に「妙蓮院西月禅定尼」、右側面に「安永元口戒」、墓形、女性戒名、菊紋など貴重。木地師に関わる考察が必要とされている。

双体(握手)道祖神

道祖神はサイノカミドウソジンで、防災、幸福、縁結びなど親しみやすい民間信仰の神で村内に多い。双体道祖神は二像だけで、握手しているものは珍しく、安全安産、縁結びなどを願って建立か。文政十一年(625)建立。

狛犬

津島神社(神明宮)社殿の狛犬は珍しい柔和な顔立ち。「ア」「ウン」
二体の狛犬は形容、建立ともに貴重。
狛犬建立の年代(元禄四年)は古く、飯伊では最も古いとされていて、狛犬の原型ともいわれている。

棚田

小さい田の石垣は「安濃積」ともいわれる。三河の石工とのつながりからともいわれている。

ハナノ木

幹回り2メートル、全樹高20メートルの老木。村内に自生木はない。新野(阿南町)からのもといわれている。接木により村内に数本見られる。
地方名「スオウ」で春の芽吹きの直紅色、秋の紅葉は鮮やか。

道標(道しるべ)

ゴハンギョの道標。形容は飯伊で最も良いと評価されている。
造立明和八年(1771)で「此方なこやみち」「此方せんこう寺みち」「此方ほうらい寺みち」と刻名されている。人馬の往来とともに参詣の道としての注目されるところであった。
ゴハンギョ(御伴行・御番所)
集落の中心地で文化元年(1804)日本最大といわれる木地師騒動が起きている。

大杉

昭和3年に県指定。同19年国天然記念物に指定。
樹高40.5メートル、幹回り14メートルあまり。
平成27年の樹木調査では樹高、幹回りともに成長中。
樹齢1800年は昭和19年のときの樹齢。現在では1870年。
1800年前この地に住居跡。発掘調査で確認。

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片桐亀十さん
根羽村の記録